MASANOBU SATO
OoooO Editor
佐藤 匡将(さとう まさのぶ) 1987/08/17 Type O
参加型フリーマガジン[OoooO] 編集・発行人。

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artの最近のブログ記事

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店内の暖房がありがたく感じるこの季節。

暑い日差しのなかみてまわった愛知トリエンナーレが懐かしい。

納屋橋で展示をしていた名和晃平の作品を体験したとき、タルコフスキーの映画『ストーカー』にでてくるゾーンに足を踏み入れた気分になった。
願いの叶う部屋はどこだ?

光が遮断され薄暗い広いスペース。ひんやりと涼しく足下には砂利の気持ちよい感触。目の前にはうっすらと照らされた無数の大きな白い泡の固まりが山のように盛り上がり微かに聞こえる「しゅわしゅわ」という音。泡は絶えず生成され増え続けているのだろう。

未知の場所であるゾーンは立ち入り禁止区域であり軍が警備をしている。しかし、その中には足を踏み入れた者の願いを叶えてくれる部屋があるという。侵入できたとしてもゾーン全体が罠のようなもので部屋までたどり着くことは不可能だとされていた。ストーカー(密猟者)という部屋までの案内人を除けば。

アーティストが取り組む課題を目の当たりにしたときに生まれる発見や共感とは無関係に、このような個人的な体験が想起されるようなものがほめられるのだ。もしくは、作品がもつテーマは横に放置され投げかけられた疑問はスルリ体を通り抜け、口当たりが良かったりインパクトがあったりするものを受け入れてしまうのだ。

映画のなかではこんなエピソードが紹介される。部屋にたどり着いた1人のストーカーは死んだ弟が生き返ることを望んだ。だが帰った男を待っていたのは札束の山だった。本当に望んだものがそれだった事実に、その男は自殺した。

アーティストは一体なにを望み作品をつくるのか。

12月24日まで豊田市美術館で行われている「反重力」。11月30日にタルコフスキー監督作「惑星ソラリス」が関連企画として上映される。

展示をみに行くとき未知なるなにかであることを期待する。作品が私にとっての案内人であることを望む。アーティストの作品が社会とどのように繋がっているのか、社会をどのようにみているのか、教えて欲しいんだ。



<ストーカー / タルコフスキー>
 

<惑星ソラリス / タルコフスキー>

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デマンドは主に政治的、社会的事件が起きた現場の風景を、写真をもとに厚紙で精巧に再現し、それを撮影します(展覧会概要より抜粋)。展示作品数30点の内4点は映像作品。そして、19点はサイズ180×200オーバーの大きく引き延ばされた写真作品であった(最大で300×429.4、最小で52×56.5)。大きいが故に細部までじっくりと見ることができるのだが、画面に登場するもの全てが紙だとわかっていても、見ているものが紙だということに現実味がない。そして、強弱の無いのっぺりとした印象を受けながらも、不自然であると感じられてしまう画面に広がるおかしな様子に違和感が残る。

どうしてあんなに大きなサイズで展示されていたのか、気になり調べてみると、模型は全て原寸大で制作され撮影されているものだということがわかった。それならば、作品サイズも原寸大に近い大きさまで引き伸ばし展示されていなければ変である。展示されるものも原寸大でなければ、紙で模型をつくる意味すらも無くなるように思えるからだ。原寸大で模型をつくり、原寸大で作品を展示する。そこに広がる世界はどこにも無い世界で、現実味と言うものが一切感じられない。作品のモデルとなる政治的、社会的事件が起きた現場の風景を扱うことと、私が感じるこの気持ちは関係していないとは思えない。世の中で起きているあらゆる事件は事件と呼ばれるのだから既に起きてしまったことになる(※ 事件には大小様々ある。転んだことも小さな事件だとして捉えることができる)。事件が起きた場所には、その時の記憶が残る。しかし、その事件が起きた日から寝て覚めればまた別の事件が起きている。個人が全ての事件を記憶することは不可能だろうし、自分にとって関心の無い事件はその日のうちにでもすぐに忘れていくだろう。ただ少なくとも、事件が起きたという事実をその事件が起きた場所くらいは覚えているはずだ。しかしその場所を紙で制作してしまうことで、その場所で事件が起きたのだという現実味は一切なくなる。紙で制作された場所は事件の記憶をもっていないからだ。

記憶をもたない場所を原寸大の大きさで制作する。それを撮影して原寸大まで引き延ばし作品にされたものは、タイトルでその場所(事柄)の名前(事実)が記され、文章でどのような事件が起きた場所であるのかが示される。事件が起きたとは思えないのに事件が起きた場所として提示される。その作品を制作する行程はわざと鮮明な色を抜いていくようにも感じらる。

特別な記憶をもった場所さえも、その特別な場所を認識する人以外にはなんてことのない平凡な場所にうつる。現実にその場所に記憶が残っていたのだとしても、事実として(名前をもって)その場所が、どのよう場所であるのかを提示されなければ気づくことがができない。この展覧会では、一度目は解説を見ないで作品を鑑賞するようにと指示がある。作品の横に付いているはずのキャプションは、展示された作品から信じられないほど離れた場所に設置されており、とても見にくく下手をすると探せない。一度作品だけをみた来場者は、説明文を参照しながらもう一度作品をみることになる。一度目と二度目で作品に写る場所は、どのように違って見えるのだろうか。写真を見る度に、場所が記憶すること、人が記憶すること、を考えてしまいそうだ。



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<制御室> 2011年

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『日本の「美術史」と、森村による「私(わたくし)美術史」が交差する、新たな視点からの美術史入門、それが"モリエンナーレ"です。』と説明にはある。

私(わたくし)美術史?

美術館で作品が展示されているのは当たり前のことだけど、森村が美術家を意識する前の学生時代に描いた作品を含め、高校、大学時代に落選した作品、何処にも出さずに眠っていた作品が堂々と美術館に展示され、その横には当時その絵を描くにあたって影響を受け真似た作品(本物もあればコピーもある)が並ぶ。

本来ならあり得るはずも無いこの展示の風景。いかに真似て、学んできたのか、展示をみればその当時の美術史と森村が抱える美術への関心の方向性がハッキリと見える。その当時の作品に対して森村のコメントがキャプションと共に読むことができ、話し言葉で実際に解説してもらえているような親近感がもてた。以下のように書かれたコメントがあった。「ギャラリーで展示していたら学芸員から連絡があり、後日待ち合わせてお話をすることに。バッグには今まで製作した作品をまとめたポートフォリオを持参。学芸員の人から連絡があるなんて初めての出来事で胸が高まる。実際に会って話を聞くと、美術館のチラシのデザインの依頼であった。結局、最後までポートフォリオをみせることはできなかった。」

どの段階で美術家と呼び得るのか?社会はどうすれば美術家として迎え入れるのか。展示されている作品の多くは、一般にデビュー作とされている「肖像 ゴッホ」に至までの作品が多い。美術家と認められていない頃に制作した作品ということになるのか?作品によってこそのみ美術家は美術家として認めてもらえるのか?作品はどうすれば作品となって社会と繋がることができるのか?ギャラリーに所属してデヴューをしても作品によっては売れないものもある。

これが野球選手の話なら頭を抱えることはない。ただ、2軍か1軍かで社会の受け入れ方は変わるのだろうが、2軍であろうと球団に選手として登録さえされていれば紛れも無く野球選手だ。では、美術家の1軍とは?おそらくそれは、美術館や有名なギャラリー、大きなアートイベントに招待されるような美術家を指すことになるだろう。2軍は売り出し中の若手の美術家(若手といっても年齢は関係ない)。それ以外は、野球をこよなく愛する草野球バカに相当するのか?

この展示のあいさつで森村は以下のようなことをいっている。「こんな私でも美術館というような立派な場所で展示をすることができるのだから、美術家を目指すみんなも諦めずに挑戦し続けて欲しい」。森村が非凡でないことは展示を見ればわかることだが、試行錯誤し葛藤する森村の過去の作品に自分自身を投影してしまう。森村は真似て学べ!と伝えたいわけではない。美術家を志す全ての人にみてもらいたい展示であった。

豊田市美術館で見逃した私は静岡市美術館へ。さらに見逃した方は、北九州市美術館(2012年7月28日(土)~ 9月2日(日))へ。

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