YU KAWAI
作灯
河合 悠(かわい ゆう)
蝋燭を作っています。

2012年7月アーカイブ

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三代目魚武濱田成夫
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火を灯す、ということについて考える。
イベントなどで演出の依頼を頂いても、本当に必要なのかと疑問に思うことがある。誰のための「火」なのか。

9月に篠島の浜辺を利用して開催されるイベントに参加する。
主催者である友人は色々と思いをめぐらせて、2ヶ月後に迫ったイベントの準備に奔走している。余白ができたら何かを埋め込まなければ不安になる。

有り余るほどのモノたちで埋め尽くされていない、「島」でやる意味。
僕は空白の部分に生まれるもののほうが見てみたい。

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イベントの詳細についてはまだ告知できませんが
その日は空白を照らします。

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湖の畔に車を停める。霧のような雨が止もうとしており、大気がカーテンのように翻り、鈍色の湖が音楽のように色を変えて行く。彼方向こう、高い高い場所から、幾重にも重なった雲を刺し貫いて、さっと光が射してくる。

小さい頃、もう二度と生垣の中から出るものか、と決心したことがあった。けれど結局お腹はすくし、何より外からの光が何だかとても気持ちが良さそうで、私はやはりうかうかと誘われるようにして出てしまうのだった。同じ場所に留まっているなんて、私には結局出来なかったのだ。だからこその憧れだったのかもしれない。

太古の昔もああいうふうに雲間から陽が射していたのだろう。私がこうやって見とれているように、ブロントサウルスも突然の光の気配を感じて、ふと、何ごと、と空を仰いだかもしれない。

それは、何だかとても懐かしい、いつか、自分が、永遠に隠れていられる場所から届く、光のようで。

隠れたい場所   - 梨木香歩 - 

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yu

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茶の湯は茶室という最小の空間で亭主が客をもてなし、互いの意を交流させる営みであるが、茶室が簡素であるのには理由がある。そこが空白であることによって、最小限のしつらいで、大きなイメージをそこに呼び入れることができるのだ。亭主は、床の間に生けた花と掛け軸に描かれた書画で一期一会の趣向を表現する。たとえば、水盤に水を張って、その水面に桜の花びらを浮かせて配するだけで、主客はあたかも満開の桜の木の下に座っているかのような幻想を共有することができる。このような、しつらえられた表現を解釈し、そこに込められたメッセージを読み解いたり膨らませたりする行為を「見立て」という。一見みすぼらしい素の空間である茶室は、具象的な演出がないだけに、自在にどんなイマジネーションをも受け入れることができる。
同じ茶室が、満開の桜の木の下になったり、波の打ち寄せる寂しい海辺になったり、深い井戸の底のように感じられたりするわけである。

庭に咲き誇る朝顔を期待する秀吉をもてなすのに、逆に庭の朝顔を全て摘み取り、茶室の床に一輪だけ残して生けたという利休の逸話はあまりにも有名であるが、茶室は虚と実が人間の認識を介して変転していく形面上的な劇場として機能しているのである。

利休の茶室の対極にあるものはオペラやミュージカルの舞台かもしれない。舞台装置が現実の空間を写実的にあるいは誇張してそこにあることや、照明や音楽といった具体的な演出が人間の感覚を直接刺激して豊富なイマジネーションを湧出させる。それに対して茶の湯はできる限り何もしないことで、幻想をそこに呼び込むのである。

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以下は茶の湯に関する利休の七か条の教えである。

花は野の花のように
炭は湯の沸くように
夏は涼しく
冬は暖かく
刻限ははやめに
降らずとも雨用意
相客に心をつけよ

たったこれだけかと思われるかもしれないが、これらの言葉から想起されるメタフォリカルな注意点はそれこそ無限にある。たとえば「花は野の花のように」は、野に咲いているようにさりげなく花を生けよという、花の生け方に関する留意を促しているが、花を生けるという営みが人為である以上、野にあるように花を生けることは不可能であり、成就できたという達成感は永久に得られないかもしれない。さらにこれを、花に限らず、命あるものや旬を考慮すべきもの全てに押し広げて解釈するならば、「野の花のように」それらを差配することは、さらに広範な意識の警句として低く大きく響く。

茶の湯は客に「茶を飲む」営みを供するもてなしであるが、これは人の営み総体の隠喩でもある。したがって、七か条の言葉は、人の営み全体に関与するさらに多様な見立てを促す余白をたずさえている。つまり見立て次第で、人ともの、人と人のあらゆる状況に意を通わせる発想の資源になる。そういう空白の原理がここにも機能しているのである。

原 研哉 - 白 - より

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火を灯す

ライブステージなどを灯す場合、時には観客から見えない位置に蝋燭を置くこともある。何を照らすか、僕はそれを第一に考える。
必要だと思えば、観客からは蝋燭がまったく見えなくてもいいとすら思っている。演者にしか見えない蝋燭の火が、音や、歌や、パフォーマンスになって観る者に伝わる力を信じているから。

何を照らすか

ある夜
ある場所で
師から学んだこと。

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yu

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インセンス オブ ザ ウェストのシダーウッドの香り。
エンリコ マイナルディ1963年録音のバッハ無伴奏チェロ組曲の響き。
砂時計の砂の落ちる音。

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自分に正直に生きて、誤った方向に進んだ者はこれまで誰もいない。
それによって、肉体的に弱ったとしても、まだ残念な結果だったとは言えないだろう。それらはより高い原則に準拠した生き方であるからだ。
もし昼と夜が喜んで迎えられ、また、生活が花々やいい香りのハーブのように芳香を放ち、もっとしなやかになり、星のように輝き、不滅なものになれば、しめたものである。自然全体が祝福してくれているのだし、それだけでも、自分の幸福を喜んでいいのだ。最大の利益と価値はいちばん気づきにくいものなのである。そんなものなどあるだろうか、とわれわれはつい思ってしまう。また、すぐに忘れる。が、それらは最高の真実なのである....
私の日常生活における真の収穫は、朝や夕方の淡い色合と同様、漠としたものだし、名状しがたいものだ。それは捕えられた小さな星くずであり、自分でしっかり掴みとった虹の切片である。

ヘンリー デイヴィッド ソロー

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反原発デモには参加しないのですか?
時々聞かれることがある。

首相官邸の前で、再稼働反対を多くの人が声高に叫ぶ。
原発市民投票も否決された。

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黙して伝えること、歯痒さを覚えることもある。
それはとてもとても時間のかかること。

自分のやり方は正しいのかと、尋ねたくなることも。
放射能は瞬く間に広がって、多くの暮らしを破壊した。
悔しさが爆発しそうになる。

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それでも僕には火を灯すしかない。
堅い石を掘り進む水滴のように
一つ一つ火を灯し訴えていくしかない。

それをデモと言うのならば
僕はデモに参加していると言うのだろうか。

あたりまえの野菜
あたりまえの肉
あたりまえの魚
あたりまえの水
あたりまえの土
あたりまえの暮らしを
こどもに遺したいと願う。

それは311以前のあたりまえではなく
新しい時代のあたりまえを。

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一つ、
ナナオサカキさんの詩を。



yu









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yu


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雨を浴びる
それもシャワーを浴びるみたいに沢山の雨を。

八年前の六月十九日、ラコタ族のチーフアーボルルッキングホースが
日本に来ていたその日、僕は静岡の山の中で雨にうたれていた。

その日、その場所に自分がいる意味も分からずに、ただ降り続ける雨にうたれ
身体を震わせ、その場所にいる意味を探していた。

ウォークに参加したわけでもなく、セレモニーにも参加しなかった。
若い自分には、その場所にいるだけで精一杯だった。

しかし山のなかで降り続ける雨は、それまでのあらゆるものを拭っていった。
湿った空気が鼻から入って、体中に沁みていくのを感じた。
傘をさすことも、雨宿りをすることもしなかったのは、自分にとってその雨が
重要なものだと知っていたからかもしれない。

あの日がなかったら今の自分は無いと思う。

人生のなかで、雨にうたれるなんて些細なことかもしれない。
けれど今降っている雨も、誰かにとっての重要な雨なのかもしれない。

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yu

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職人の手の癖で使い慣らされた古い道具
砂や波に揉まれて、真白い真皮を露にした流木
何万年という時間を旅をしてきた石たち
分厚い樹皮のように皺を刻んだ老人の顔

彼らの経てきた時間を、その姿はどんなものより雄弁に語る

表現ではなく
表出してきたものにこそ、心を打たれる
自分もそうありたいと願う

数年前、ある人から託されたヒマラヤから旅をしてきた小さな石が
僕の価値観を大きく変えた

劇的な変化ではなく
雨水が、一滴一滴堅い岩を浸食していくように
とてもゆるやかに、けれど確実に

浸食は今も続いていて
やがてそれは、信仰になった。

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